東海道の一里塚

一里塚(いちりづか)は、街道ごとに残り方の傾向が違います。 まずは五街道の中でもっとも往来が多かった、東海道から見ていきます。


東海道はどんな街道だったか

江戸(日本橋)と京都(三条大橋)を結んだ、五街道の中でも中心的な街道です。

・宿場の数が多く、参勤交代・商人・庶民の往来がとくに多かったとされる
・平地・海沿いを通る区間が長く、整備が進みやすかった

往来が多かった分、記録や言い伝えも比較的残っているとされています。


一里塚の残り方

現存する一里塚は、区間によって差があります。

・塚そのものが残る例
・塚は失われ、石碑・案内板だけが残る例
・地名や交差点名に「一里塚」が残るだけの例

東海道は都市化が進んだ区間が多く、塚そのものが姿を消した場所も少なくないとされています。 一方で、資料や案内板が整備されている区間もあり、記録をたどりやすい街道のひとつです。


見に行くときの考え方

「東海道の一里塚をすべて回る」と考えると、負担が大きくなります。

まずは自分の生活圏に近い区間、あるいは旧東海道として知られる区間から 見つけ方を試してみると、始めやすいはずです。


区間を決めて出かける


まとめ

  • 東海道は五街道の中でもとくに往来が多かった街道
  • 都市化の影響で塚そのものが失われた区間も多いとされる
  • まずは身近な区間から探してみるのが現実的

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