なぜ多くの一里塚が失われたのか(明治以降の道路整備)
一里塚が失われた大きな理由の一つは、明治以降の道路整備・都市化とされています。
明治以降に何が起きたか
・鉄道の開通により、街道を歩く人が減った
・道路の拡幅・舗装により、街道沿いの塚が撤去された区間がある
・都市化により、塚のあった場所が宅地・商業地に変わった
街道そのものの役割が変化したことで、一里塚を維持する理由が薄れていった、 という説明が一般的です。
それでも残った場所との違い
・旧街道が幹線道路として使われ続けなかった区間は、開発の手が及びにくかった
・史跡・文化財としての価値が早い段階で認識され、保存された例もある
現存する一里塚はどこにあるかで紹介したとおり、 都市化を免れた区間や、早くから保存の対象になった場所が現在まで残っています。
正確な消失数は分かるか
・「もともと何基あって、今は何基残っているか」を全国規模で正確に数えた
資料をこのサイトでは確認できていません
このサイトでは「日本に一里塚は◯基しか残っていない」というような断定はせず、 地域ごとの現存状況を個別に紹介する形にとどめます。
まとめ
- 一里塚が失われた大きな理由は、明治以降の道路整備・都市化とされています
- 街道の役割が変化したことで、維持されにくくなったと考えられます
- 全国規模の正確な消失数は、このサイトでは断定していません