「門松は冥途の旅の一里塚」ということわざの意味
「門松(かどまつ)は冥途(めいど)の旅の一里塚(いちりづか)」ということわざを 耳にしたことがあるかもしれません。
正月のめでたい門松を、死へ向かう旅の目印にたとえた句です。
句の意味
この句は、次のような続きを持つ狂歌(きょうか)として伝わっています。
門松は冥途の旅の一里塚
めでたくもあり めでたくもなし
正月が来るたびに、めでたく年を重ねる一方で、 人はそれだけ死に近づいている、という二重の意味を詠んだものです。
一里塚が「旅の途中の目印」であることになぞらえ、 正月(門松)を「人生という旅の目印」として扱っています。
誰の句とされているか
この句は、一休宗純(いっきゅうそうじゅん)の作とする説がよく紹介されます。
ただし、一休本人が実際に詠んだと確認できる一次資料は乏しく、 後世に一休の逸話として広まった可能性も指摘されています。 このサイトでは「一休の作と伝えられている」という留保つきの紹介にとどめます。
なぜ「一里塚」がたとえに使われたのか
一里塚は、旅の途中で「あとどれだけ進んだか」を示す目印でした。
正月を「人生という旅の一里塚」にたとえることで、 めでたさと同時に、時間が確実に進んでいくことを表しています。
まとめ
- 「門松は冥途の旅の一里塚」は、正月を死へ向かう旅の目印にたとえた句
- 「めでたくもあり めでたくもなし」と続き、二重の意味を持つ
- 一休宗純の作と伝えられているが、確実な一次資料は乏しい